説教とは

先日所属する団体の後輩に説教をした。そいつが団体を抜けるというのだ。それがまた非常に一方的なもので、それらしい動機を並べ、しまいには、みなさんのことやこの団体のことは大好きでしたなどと言ってきれいにしめくくろうとする。
言葉なんて薄っぺらいと思う。どんなに大好きなんて言葉を並べようが、もっともらしい理由付けをしようが、周りの人は、ああ辛くなって逃げ出したんだな、としか思わない。なぜか本人だけがそれに気づかない。
僕の友人たちは特に何も言わなかった。説教する気も起きないといったところだろう。説教というのは本当に相手のことを思って、相手が成長することを願っての行為である。するほうもつらいし面倒に決まっている。説教してもらえる人間は、本当に最大限の感謝の気持ちを持たねばならない。
普段おちゃらけて楽しめる友人、これは素晴らしい財産だと思う。
ただ、いざというときには、蛇蝎ではないが、厳しい言葉をかけてくれる、そんな人間関係をつくっていけたらと思う。